『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』フォトジャーナリズムと野次馬の写メは何が違うのか
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★★☆☆☆
プアーです。たまにはこういう社会派作品もいいよね、ということで、毎度おなじみGEOの100円コーナーから『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』の登場である。
僕は報道カメラマンや戦場カメラマンという職業が嫌いだ。この世でもっとも下劣な職業の1つだと思ってる。人が悲しんだり、怒ったり、苦しんだりする様をカメラに収める職業というのは上品とはいえないし、下品で邪悪ですらあると感じている。少なくても善ではない。
特に秋葉原連続殺傷事件を期にして、その思いは強くなった気がする。僕はノンビリしてるし、実家暮らしという命綱付きとはいえ、ポジション的には暴発したトモ加藤に非常に近い。その事件の被害者・加害者をフォーカスするカメラマンを見るにつけ、野次馬が携帯でパシャパシャと写メを撮るのとどう違うのか? 専業カメラマンと野次馬はどこが違ってどこら辺に境目があるのか、まったく分からなくなってしまった。
もしカメラマンが「真実の報道」を建前に写真を撮るなら、携帯でパシャパシャ撮ってる人間との差異を、僕にでも分るようように表現するべきだし、そうする義務や責任があるんじゃないかと思う。少なくともニュースを見る限り、僕にはどうしても差異が理解できなかった。これは日本のジャーナリズムの貧困性に由来するものだろうか? 残念ながら僕には分らない。
前置きが長くなったが、『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界』を見る限り、世界トップのフォトジャーナリスト、ジム・ナクトウェイにもまた日本の報道とは別種の疑問、何となくモヤモヤとした問題点はぬぐいきれなかった。
例えば「貧しさ」をテーマに写真を撮ったとすると悲惨でどうしようもない現実ばかりがクルーズアップされるが、人間の営みはそんなに単純なものだろうか? 彼らは一生笑わないで一生を終えるのだろうか? 朝から晩まで泣きながら生活してるのだろうか?
実際、朝から晩まで泣きながら生活してるかもしれないし、一生笑わないで生活してるのかもしれない。その場にいない僕には判断できない現実である。その場にいる者にしか分らない現実である。
もちろん、世の中に過酷で辛い現実があるのは事実だし、それが往々に強力な力によって隠蔽されがちだ。それを公開し告発する意味非常に意味がある行為だ。でも、それだけでは片手落ちじゃないだろうか?
あらかじめシナリオを作りそれに沿った物語作りというのは間違ってると思うだが、どうだろう。ジム・ナクトウェイは映画を見る限り、非常に誠実で写真の持つ力を純粋に信じ、報道の力を通じて戦争や貧困の撲滅につながると考えている。過酷な仕事なのにそれだけの高潔な思想を維持できるのは閉口するばかりだが、でもそれでいいの? ジャームズ・ナクトウェイのすべての苦しみを内包したような顔を見るにつけそう思う。
戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイの世界の製作・監督・編集
クリスチャン・フレイ
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